萩焼
萩焼(はぎやき)は今から約400年前の秀吉による文禄の役・慶長の役の際、「毛利輝元」が朝鮮から連れてきた二人の朝鮮人陶工【李勺光】(りしゃくこう)【李敬】(りけい)兄弟により慶長9年(1604年)に始まった。山口県萩市一帯で焼かれる陶器である。
松本萩
弟の李敬が萩市内で開窯し、二代藩主毛利綱広より“高麗左衛門”の名を賜る。
それ以降は『坂高麗左衛門(さか こうらいざえもん)』と名乗り現在まで名跡は続く。
今は13代(女性)
松本萩は主に藩の要請で茶陶を焼いた御用窯である。
今は主に萩市で焼かれるものを「松本萩」と呼ぶ。
深川萩
兄の李勺光は長門市深川に居を構え、孫が開窯して【深川萩】が起きる。
『山村家』を名乗り茶陶以外にも日常の雑器などをてがけた。
山村家は断絶したが、今も長門一帯で焼かれるものは「深川萩」と呼ぶ。
三輪窯
坂高麗左衛門と共に萩藩の御用窯を務めていた古い窯元である。
当主は代々『三輪休雪(みわ きゅうせつ)』を襲名する。
第10代休雪と11代は人間国宝。当代は第12代。
萩焼の特徴
萩焼の陶土は主に防府市大道で採掘される。
ここの土は浸透性が強い。それに加えて焼成は低温であり、焼締めも弱い。そのため貫入が出やすく、手の収まりが良く肌触りも心地よい器となる。この特徴のため萩焼を愛する茶人はいまも多いのである。
貫入は使い込むうちに色合いが変化、それを【萩の七化け】と言う。茶渋や酒が浸透して枯れた味わいを見せるのである。
手に持った時の感触、あたたかい風合い、それが萩の特徴。また、素地の肌色を生かすため模様はない場合が多く、あっても地味である。そのへんも萩焼の人気が高い理由であろう。