ウヰスキーの話
酒は大きく三種に分けられます。
ワイン、ビール、清酒(日本酒)、老酒などの【醸造酒】
ウイスキー、ブランデー、ウォッカ、ラム、ジン、焼酎などの【蒸留酒】
リキュール類や梅酒など香りや味や色を加えた【混成酒】
醸造酒は、穀物や果実を発酵させて作る原始的な酒で発酵酒とも呼ばれます。「口噛み酒」などは有史以前から存在し、分かっているだけで1万年前、考古学が進化すれば2万年か、それ以前からあったのが分かってくると考えられます。
どちらにしてもワインやビールは7000年前には人々の暮らしになくてはならない存在として既に定着していたようです。
混成酒(Compounds, Construction)というのは、乱暴に表現すれば醸造酒と蒸留酒以外の酒と言えましょう。ベースは蒸溜酒か醸造酒になりますが、異種の酒を混合したり香料を加えるなどした定義の難しい多種多様な酒類の総称として混成酒と呼びます。
そして蒸留酒(Distilled Liquor, Spirits)
今日はこれについて少し考えてみたいと思います。
蒸留酒の起源(ウイスキーの歴史)
蒸留酒というのは醸造酒を熱して主成分のエチル・アルコールの蒸気を冷却した純度の高いアルコールであり、比較的科学的に高度な技術が必要になります。
(エチル・アルコールの沸点は87℃)
蒸留酒は10世紀前後に欧州の錬金術師が生み出したという伝説があります。
が、これは「お話」でしょうな。実際には8世紀頃蒸留アルコールは出来ており、その場所はアラビア。既に中東で発見されていたのです。
これがどのようにしてウイスキーとなっていくのか。
実はこれが霧の中でして、記録が見つかっておらず正確にはまだ分かっておりません。ウイスキー発祥の地すらスコットランドなのかアイルランドなのか分からない。発見されている文献への初出は1400年代初頭のスコットランドですが、もちろんその何百年も前からあったのは確実です。
しかしながら、この地にウイスキーが誕生したのはおおよそのところ12~13世紀ごろと考えてもいいでしょう。
その頃のヨーロッパでは錬金術が流行していました。
実験室で卑金属を貴金属に変えようという「科学者たち」ですね。
まあ、魔法の延長みたいな側面が濃いのですが、これが西洋科学の揺籃になって行ったのも事実です。
ひとりの錬金術師が、ある日ビールを蒸留装置に入れてみた。
すると考えもしなかった香りの高い質の良い酒が偶然にできた。
これがウイスキーの誕生である。
と、これが『錬金術師による発見』説です。
ま、これはなんでもかんでも西欧が中心だとする思想の一環であり、信用するにはあまりにも拙い話。伝説にすぎないと断言できましょう。
本当の背景は科学技術の黎明であろうと思います。
つまり『十字軍』と『ルネッサンス』ですな。
時代もピタリですし。
後退期の暗黒ヨーロッパ
ギリシャ、それに続くローマ。この高度なヨーロッパ文明は、キリスト教がすべてを支配する千年近い暗黒時代に突入して西欧から消え去った。
精神の深くまで宗教が支配する宗教文明に突入し、ギリシャの数学・哲学、ローマの技術は失われて途絶えてしまい、ヨーロッパは長い停滞期に。
なにしろ、自然を科学で捉える事は『神への冒涜』とされて、魔女や悪魔が跋扈する、後退としか言えない「迷信文化」であれば、先端的なギリシャ文明が消失しても当然といえよう。
この数百年の抑圧が解き放たれた時(すなわちルネッサンス以降)、急激な科学文明の発達と他の世界への侵略が始まるのは偶然ではなかろう。一種の『反動』と考えても見当外れではないはずである。
暗黒時代、ギリシャの科学や哲学は地球上から完全に消え去ったのではない。それは『中東地域』へ受け継がれ、そこで独自に発展していた。ヨーロッパからは消えたが、「東方」へと継がれていたのである。
アラビア
世界で最も古い文明はオリエントです。
ギリシャ以前にエジプトやメソポタミア、さらにペルシャと、古代文明の中心地は今現在「中東」と呼ばれる地域だったのです。
そもそもギリシャもオリエントを下敷きにして文明を築いたのです。
ローマ文明が滅び去った時期(つまりヨーロッパがキリスト教中心の暗黒時代に入った頃)、アラブで「イスラム教」が起こります。
開祖のマホメットはユダヤ教・キリスト教に精通しており、その矛盾点をよく知っていました。そこでアラーの前には万人は平等であるという新たなる一神教を開き、その教えはマホメットの死後『コーラン』に編纂されます(7世紀頃)
イスラム教は短期間で爆発的に信者を増やしました。なぜならイスラームの戦士たちはコーランの教えをほぼ忠実に守ったからです。コーランの教えとは簡単に言えば「貧しい者には分け与えよ」です。
キリストの教えが形骸化し、教団の幹部たちが世俗にまみれ、権力を恣にして特権的な権力を持って市民を迫害したキリスト教暗黒の時代。
貧しい人々が次々にイスラム教へ転向したのも当然なのかも知れません。
イスラム教は、現在イメージされてる狂信的なものではなかったのです。
その後イスラム教はスンニー派とシーア派に分裂。
勢力を増しながら王朝も変遷しつつ繁栄を続けます。
この時期のアラブで特筆すべきは、高度な文化。
とりわけ「自然科学」のレベルの高さです。
ギリシャの哲学や数学は、ご当地のヨーロッパではキリスト教の圧迫もあって消えてしまっていたのですが、アラビアではアリストテレスなどの著書を翻訳して盛んに研究。数学などは独自に進化させ、非常に高度なレベルに達しています。
物理学、科学、医学、どれも高度であり、酸とアルカリの性質も解明されていたほど。すでに蒸留装置も完成させていたのです。
この時代に、この地域で蒸留酒が誕生したのは確実でしょう。
十字軍遠征
ヨーロッパは11世紀頃、長い寒冷期が終わって温暖な気候へと変化します。それにともなって大開墾時代に突入。人口が激増しました。
これによって深刻な問題が発生します。
それは『土地不足』
王様から農工商人、教会でさえも土地不足に悩みます。
紀元1000年の後半。オリエントはトルコのセルジューク朝が全盛でした。一方で東ローマ帝国では実質的に皇帝よりも教皇の方が発言力が強い状態であり、この時のローマ教皇はウルバヌス2世。
ウルバヌス2世はキリスト教圏の信者に対し、異教徒イスラム教国からの聖地エルサレム奪還を訴えます。
が、これは大義名分でしかなく、本音は利己的な征服願望。
土地不足問題の解決法ですな。
教皇ウルバヌス2世自身が人々の欲望を煽るような発言をしています。
それ以降、第1回十字軍から第7回十字軍(あるいは8回9回も含める)まで、実に200年にもわたる十字軍遠征が行われます。
ですが実質的に成功といえるのは聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還した第1回十字軍だけだと言ってもよく、あとは全部失敗・敗北といえましょう。
なぜならこれは聖地奪還を口実にした侵略・征服戦争であり、戦士の士気が迷走していたからです。その証拠に、俗にまみれて騎士団の足を引っ張るばかりの教会に対して疑問が沸き起こる結果になり、教皇の権威は徐々に失墜し、教会改革へとつながるのです。
十字軍遠征がもたらしたもの
それは皮肉というか自業自得と言うか、「教会の弱体化」です。
この結果、古い封建制度が中央集権体制へ移行していきます。
王権の復活ですな。
そしてもうひとつ。これが重大です。
十字軍兵士はアラブから色々なものを持ち帰ります。
それは単なる戦利品だけではなく、科学や文化も含む。
これによりギリシャ文化も少しだけ「里帰り」
そこから広がっていったのが「ルネッサンス」です。
東方貿易によるビザンツ文化の流入と相まって西欧は改革期を迎えます。
もっとも、その数百年後にガリレオ・ガリレイやコペルニクスの地動説を禁ずる布告を出すほど「教会の力」は残っていたわけですので、完全にキリスト教の圧迫が消えるのは近代に入ってからだと言えますが。
ともかく、【十字軍によってアラビアの蒸留酒がヨーロッパにもたらされた】
そう明記した文献は見当たりませんけども、自分はそう考えております。
ウイスキー(世界5大ウイスキー)
アイルランドかスコットランドか定かではありませんが、十字軍遠征が敗北に終わって暫く後の時代、土地に伝わる地酒に、【uisce beatha(ウシュク・ベーハー)】(ゲール語で”生命の水”)という名前が付けられました。(1400年ごろ)
その地酒とは麦から作る焼酎のような蒸留酒。
農家や修道士によって製造されていたようです。
これが「ウスキボー」などと呼ばれ、18世紀初頭にはウイスキーという呼び方に定着します。アイルランドのアイリッシュ・ウイスキーは『Whiskey』、スコッチや他のウイスキーは『Whisky』と表記されます。
uisce beatha(生命の水)という言葉は各地に広まり、ラテン語で「アクア・ヴァイティ」と呼ばれ、フランスではブランデーの語源になります。「オー・ド・ヴィ」は穀物酒ではなく、果実酒、つまりワインを蒸留したのが始まりであったとするのがフランスの考え方。
アイルランドにもスコットランドにもフランスにもそれぞれに言い分はあるでしょうが、ともあれウイスキーなるものは西欧各地に広がっていきます。
スコッチ
最初の頃、ウイスキーはアイルランドやスコットランドのハイランド地方の地酒にすぎず、それは数百年続いたとされます。
しかし15世紀にもなると、ハイランドの地酒は南部のローランドにも広まり、段々にスコットランド全土で知られるようになってきます。
都市のあるローランドに近い地の利が効果的に作用し、アイルランド産のアイリッシュ・ウイスキーをおさえてスコットランド産のスコッチ・ウイスキーが勢力を強めました。
スコットランド全土で愛される飲み物へとなって、商業的にも大きな存在となって行こうとしていたのです。
この時期までのウイスキーはほとんど焼酎と同じで無色透明、しかも貯蔵(エイジング)もされていない粗雑な酒でした。
このまま商業ベースに乗っていれば、おそらくウイスキーは「2流の酒」として定着してしまったでしょう。日本の清酒が戦後にたどった道ですな。
1707年、ウイスキーが「名酒」へと脱皮する事件が発生。
それはイングランドによるスコットランドの併合。
スコットランド王国はイングランド王国に合併されてしまったのです。
この合併以降、およそ100年もの間、イングランドはウイスキーを目の敵と言わんばかりに弾圧します。ありえない程の高い税金でスコットランドの酒造業者の壊滅を狙い、イングランドお墨付きのウイスキー業者で市場を支配したかったのですな。
伝統的なハイランドの酒造りたち(ハイランダー)はこれに抵抗。
ハイランドの険しいグレン(山峡)にて密造を始めます。
イングランド政府の厳しい追及にもめげず、ハイランダー達のグレン・ウイスキー(密造酒)製造所は山の谷間に数千軒あったといいます。
ハイランダーが生き残りをかけた戦略は、イングランドお墨付きのウイスキー業者が製造する酒との差別化。つまりウイスキーの高品質化です。
「腰抜けイングランド野郎」の作るローランドの不味いウイスキーなんかに負けるものかというハイランダーの意地ですな。
その意地に大麦しか育たない北部スコットランドの気候が味方をしたのか、ある時イングランドの収税官の目を逃れるために樽に詰めて隠しておいた酒が、見事な香りになっていることにハイランダーは気づきました。さらにピートで焚いて乾燥させることによる独特の燻香。
ウイスキーが「1流の酒」になるに不可欠な【エイジング(貯蔵)】の発端。
無色透明の荒々しい酒が、琥珀色の洗練されたウイスキーへと進化したのは1730年代の後半だと云われます。シェリーの古樽で寝かせる手法も発見されていたわけです。
これはスコットランド北部の山の中、「グレンリベット」であると考えられていて、グレンリベットをスコッチ・ウイスキー発祥の地とする見方もあります。
密造酒でありながら、「グレンリベットもの」は名声を高めていきました。
1823年。ようやく政府とスコッチ密造業者は和解。
正式にウイスキー製造が認められます。
イングランド政府公認の第一号は『ザ・グレンリベット・ディスティラリー』
ジョージ・スミスのストレート・モルト・ウイスキーですな。
ところがそれから10年経ずにウイスキー製造に変革が起きます。
パテント・スチル(連続蒸留器)の発明です。
これは従来のポット・スチル(釜蒸留)と違い、発芽していない麦やトウモロコシを原料に使えるのでコストが下がる。味もライトになり飲みやすい。
今までのモルト・ウイスキーに加えて『グレーン・ウイスキー』が誕生したのです。
新しい製法によるグレーン・ウイスキーの人気が広まるにつれ、モルト・ウイスキーの製造業者は崖っぷちに立たされます。存亡の危機ですな。
この危機を回避する方法を発見したのは、「アンドリュー・アッシャー」という若者で、彼はモルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーを混合させた【ブレンデッド・ウイスキー】という新しい酒を作り出したのです。
モルト・ウイスキーの製造業者も生き残ることが可能になりました。
香りよくまろやか、軽快で飲みやすい。このブレンデッド・ウイスキーにより、ウイスキーは「世界の酒」へ歩みだしたと言えましょう。
有名なスコッチ
『ザ・グレンリヴェット』『ザ・マッカラン』『グレフィディック』『ザ・ロイヤル・ハウスホールド』『ジョニー・ウォーカー』『オールド・パー』『カティサーク』『キング・オブ・キングス』『J&B』『シーバス・リーガル』『バランタイン』『ブラック&ホワイト』『ベル』『グランツ』『ティチャーズ・ロイヤル・ハイランド』など
スコッチ 楽天市場
アイリッシュ・ウイスキー
アイルランド共和国、北アイルランドで生産されるウイスキー。
スコットランドのスコッチとウイスキーの起源を争うほど古い歴史を持つ。
モルトの過程でピートを使用しないのが特徴。
スコッチが大麦の麦芽だけを蒸留するのに対し、アイリッシュ・ウイスキーは大麦の麦芽以外に発芽していない大麦・ライ麦のグレーンを加えた原液を蒸留する。「コク」は深いが、「軽い」というウイスキーである。
『ホワイトホース』、『ジョン・ジェムソン』、『ボウモア』など
アメリカン・ウイスキー
17世紀の初頭から、新大陸(アメリカ)への移民が盛んになっていき、彼らは旅の必需品としてスピリッツ(蒸留酒)を携えていました。
開拓民たちは最初の頃、イングランドやアイルランドやフランス、スペインなどの本国からウイスキーを送ってもらっていたのですが、土地に落ち着いてくるにしたがって自分達で製造を始めます。カリブ海域にある島々(西インド諸島)からもたらされる糖蜜が原料の蒸留酒、【ラム】の製造です。
この時代、アメリカで一般に飲まれていた酒はほとんどラムでした。
18世紀に入り、農地が安定してくるとライ麦を原料とした、スコッチに似たウイスキー造りが始まります。
西部開拓者である農民たちの大きな悩みはインディアンとの戦いもさることながら、何よりも収穫した農作物を利益にする問題。
アラパチア山脈を越えて東部沿岸の都市へとライ麦やコーンを運搬するのは並大抵のことではありません。運搬の途中で農作物が腐ってしまうからです。
蒸留酒であるウイスキーなら腐る心配もないし、穀物に比べて運搬も楽。
これに気づいた農民たちはこぞってウイスキー作りを始めます。
ところが、1700年代の後半にアメリカが独立し合衆国が成立。
新政府は税収確保のためウイスキーを標的にします。
西部農民はこれに対し頑強に抵抗。
1794年、ペンシルバニアにて政府への反乱が起きます(ウイスキー反乱)
この反乱は連邦政府に鎮圧されたものの、農民たちの反感が収まったわけではなく、スコットランドのハイランダー達が北へ北へと向かったように、西部の農民達(蒸留酒製造業者)は、政府の目を逃れるために西へ西ヘと向かいます。
そうやってケンタッキーに辿り着いたある集団が、この地で「最高の水」を発見します。石灰岩層を抜けた水で、ウイスキーに最適。
ケンタッキー・バーボン郡のジョージタウンに「エライジャ・クレイグ」なる牧師さんがおりました。この人がバーボン郡の主要な作物であったコーンを原料にウイスキーを作ってみたらこれが好評。バーボン郡のウイスキーとして名を広めて行きます。
『バーボン』(バーボン・ウイスキー)の誕生です。
バーボンは原料の51%以上がコーンで、もろみをそのままパテント・スチルで蒸留します。そして蒸留液を内壁を焦がしたホワイト・オークの新樽にて貯蔵。
スコッチとはまったく違う、強烈な個性を持ったウイスキーです。
しかし、アメリカン・ウイスキーといっても多種多様であり、バーボンに限ってもストレート・バーボン・ウイスキーからブレンデットまで色々です。
有名どころ
『ジャック・ダニエル』『ワイルド・ターキー』『I・W・ハーパー』『シーグラム・セブン』『アーリー・タイムズ』『ジム・ビーム』『エンシェント・エイジ』『フォア・ローゼス』など
カナディアン・ウイスキー
アメリカン・ウイスキーともスコッチ・ウイスキーとも微妙に違う独特のライトなウイスキーである。製法はアメリカン・ウイスキーに似ているが原料がコーン主体ではない。貯蔵中の蒸発欠減を新たなウイスキーを加えることで補うやり方も独特。
『カナディアン・クラブ』や『クラウン・ローヤル』などが知られる。
ジャパニーズ・ウイスキー
赤玉ポートワインで成功を収めたサントリー創業者『鳥井信治郎』
その鳥井が1923年、京都郊外に開設した山崎蒸溜所の初代所長でスコットランドからスコッチ・ウイスキーの伝統的製法を持ち帰った『竹鶴政孝』
この二者をもって日本ウイスキー の嚆矢と言えるでしょう。
竹鶴はサントリー(当時は寿屋)を離れて北海道に渡り、大日本果汁(後のニッカウヰスキー)を立ちあげています。
昭和4年、日本初の国産ウイスキー『サントリー・ウイスキー 白札』が発売されますが、これは売れませんでした。
それでも鳥井はあきらめることなく本格的なウイスキー製造を目指し、遂に昭和12年、本格ウイスキー『角瓶』の発売にこぎつけます。
酒をどう飲むか
一、食前に飲むべし
二、食間に飲むべし
三、食後に飲むべし
(ウォーリス・ライス)
酒の飲み方は人それぞれ違います。違って当然です。
ですが、酒の「嗜み方」を知っている人の飲み方は一つだけ。
『自分の酒を知る』ですね。
高価な酒や安い酒、強い酒や弱い酒。それは無関係。
自分に一番合う酒こそが「自分の酒」です。
20世紀の後半から、日本では「いっき飲み」なる風習が目立つようになり、それに比例するかのように良い酒場が消え、ウイスキー の消費量も下落しています。「いっき飲み」というのね、典型的な「他人の酒」なのですよ。
少なくとも日本人の体質を考慮すれば「自分の酒」ではありえない。
仕事で疲れた体の緊張を解きほぐし、そして陽気になる。
加えて酔いを翌朝に残さない。
それがウイスキーの、蒸留酒の、真骨頂です。
透明な分厚いグラスの中で揺れる琥珀色の液体。
夜が楽しみです。(夜までなんとか待つとしましょう 笑)
つい先日、東京のアサヒビールのお偉いさんが銀座で接待をしてくれたんですが、その時にこの竹鶴の本を頂いて読んだばかりでした。
それはそうとひと月ぶりにブログを仕上げましたんですが、時間がかかりますね^^;日記には書かなかったんですが、MSC認証をとった、土佐鰹水産の冷凍鰹。エシカル消費の提供者。ブライン凍結という方法で、冷凍とは思えないほどの品質ですが、綺麗事だけでは商売は出来ず、つい先日、倒産してしまったようです。
ま、時間よりも正論を吐くにはお金も労力も掛かりますので、市役所に余計なお世話をする前に自分の道に集中します。
あ、でも明日は、中学時代の同級生が福岡中洲のママになってるらしく一緒に飲もうと言われたのでエンジョイしてきます。勿論、フェイスブックで再会しましたが(笑)
僕の人生のセキュリティーは誰にもハッキングさせません!!
Posted by ゆうじ at 2012年05月11日 00:29
今「自分の酒」やってます。身体と精神を癒しながら。
癒すつもりがとんでもネェ!糞朦碌ジジイが俺を朦朧とさせるよなこと書いてヤガッて!(笑)
お疲れ様でした。
「他人の酒」
もう少し他人の酒と上手にぉ付き合いすることが出来るようになると 日本人ももう少し「豊かさ」の価値を内容や歴史あるモンに換えていけるような気がすんね。爺のこの記事のよに。
みんな下手くそだ。(笑)
(とか言いつつ初めての酒による嘔吐ゎ先輩をカバうために自ら志願した さらに上のOB先輩からの 一気呑み命令。若干17歳の頃)笑
琥珀色した酒がキレてる。
家にない。
前にもコメしたが ぉ客様から頂いたバカラの大口径ロックグラスが たった一つある。
こいつゎ当然「自分の酒」用。 何を買ってくっかな!
マッカランか… はたまた余市か…TURKEYゎとある店にキープしてあっから そうだ!
亡き父親が大好きだった
「ヘイグ」にすんべ。
金額ジャネェし!酒ゎ。
ん?カミサン?
まだ 付き合い中の頃
ヤツのIWハーパー代に どんだけ銭使ったか…一晩二人で一本半。それから一仕事して(#^.^#)まんま仕事だった。懐かしいよ爺(笑)
Posted by 鯔次郎 at 2012年05月11日 00:58
おつかれさまです、ゆうじさん。
先日は黒足ともども怒鳴りつけて申し訳ないm(_ _)m
だが、
>中学時代の同級生が福岡中洲のママになってるらしく一緒に飲もうと言われたのでエンジョイしてきます。勿論、フェイスブックで再会しましたが(笑)
この!ウスラ・・・・・
(笑)
Posted by 魚山人 at 2012年05月11日 07:21
おつかれさまです、鯔ちゃん。
なにがバカラでぃ、この、トントンチキ野郎。
大関カップか鯖缶のブリキ空き缶でバクダンでも飲んでろい。
(↑ここんとこなぜか凶暴 笑)
記事の最後でウォーリス・ライスの言葉を紹介してますが、
これは「酒の三則五法」の三則。
五法も紹介しておきましょう。
酒を飲むに5つの法あり
美酒あらば飲むべし
友来れば飲むべし
喉乾きたら飲むべし
また乾く怖れあらば飲むべし
もしくは、いかなる理由ありても飲むべし
ヘンリー・オルドルッチ
日本では昔からこう言う
「御神酒(おみき)あがらぬ神はない」
・酒は百薬の長 されど万病の元
・人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む
・酒なくて何の己が桜かな
・酒は飲むべし飲むべからず
いったいどっちなんだか分かりゃしねえが(笑)
酒は面白い。そして深い。
それはきっと「人間の中身」がさらけ出されるからだろうね。
Posted by 魚山人 at 2012年05月11日 07:22
いつもながらの深い話に興味が湧きます。
酒に関するウンチクは何方も持っておられると思いますし、それは食べ物と同じ文化なのですから。
最近は若者のお酒の飲み方とか、サラリーマン殿の飲み方とかを見ていると時代に依っても変わるってところも「文化」なのか社会現象(政治や企業文化の崩壊、社会価値観の下落(質から低価格へとか)
今はターキーを飲みながら魚山人さんのウィットを肴にと言う、贅沢なひと時です。(いつもながら感謝です。)
Posted by Moda at 2012年05月11日 20:17
Modaさん、こんにちは。
「酒を楽しむゆとりさえも消えた」
それが昨今の実情ではないかと思います。
もはやいかなる職業であろうと足元盤石とは言えず、安泰は過去の遺物。
視力の良い方なら、霧の深さと眼前の不透明さがよく見えましょう。
しかし、だからこそ心に余裕を持たねばいけません。
何事も、急いては事を仕損じるです。
よく考えれば、悪いことばかりではない。
それを教えてくれるのは酒なのかも知れません。
まずは、【酒をじっくり味わう】そこから取り戻して欲しいものです。
Posted by 魚山人 at 2012年05月12日 07:23
魚山人さん おはようございます。
“酒は度を超さなければ、人にとってほとんど生命そのものに等しい” 旧約聖書
これはなかなか難しい、魚山人さんのようにストイックに2合でやめるというのは本当に難しい。
一応4合までにするように努力してますが、泡で始まりワインor日本酒、ウィスキーorブランデーといくと収まりません。
ウィスキーの飲み方
食前 ウィスキーソーダ
食間 水割り、しかしワイン、日本酒、老酒に比べると食中には向いていると思いませんが、、、
食後 ストレートかオンザロック
”ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔を輝かせパンは人の心を支える”旧約聖書
”食事をするのは笑うため。酒は人生を楽しむため。銀はすべてにこたえてくれる”旧約聖書
”酒を飲まざる人間からは思慮分別は期待されず” キケロ
”ふところが痛いのは最初の一杯だけである” ヴィンセント・S・リーン
”今日は一杯だけにしておこうと思うのは最初の一杯だけである”庄助(笑
初めて飲んだ酒は日本酒、”盗み酒”小学校に上がる前でした。
小学生の頃から正月には飲ませてもらえました。
ウィスキーとの出会いは中学生のころ。
高校の頃にはトリス、レッド、ヒゲごくたまに角やダルマも飲んでいました、寛容な時代でした。(笑
金持ちの同級生の家ではキャビネットのジョニ赤や黒を飲み干してレッドを戻しておくなんてバカなことも思い出しました。
40年以上前6000円以上していた憧れのジョニ赤今は1980円です。
30代までよく飲んでいたウィスキー、今は日本酒やワインがほとんどで月に1本程度しか飲まなくなりました。
今家にあるのはブナハーブン97とカリラ95とどちらもアイラウィスキーです。
あまのじゃくな私にはあっているようで、家内は”素直な人間”なのでリザーブなどを飲んでいます。(笑
Posted by 庄助 at 2012年05月12日 08:58
ウィスキーですね(笑)
実はこの記事への書き込みは三度目になります。
初日は食中酒にビールをいただいて、食後酒にバランタインを舐めながら記事を楽しんでおりました。
で、作家気取りでグラスを傾けながらキーボードを叩いていたのですけど、酔いの余韻に身をゆだねていると文章なんて出てこないものなのですね。
感じるままにサラサラと、なんてカッコ良くはいかないものです。
初日に反省しましたからね、二日目は食事中に日本酒を楽しみましたが、ほぼ素面のままで書き込みです。
だけど、酒について書こうとすればするほど何を書いても野暮ったい。
ついに、この日も書き込みを諦めるに至りました。
今日は食事ももちろん晩酌もしましたが、ありのままに書き込むことにしました。
今回のコメントがいちばん僕らしくてしっくりしますね(笑)
さて、飲みなおすとしますか。
今の気分は・・・ボウモアいやいやジョニーウォーカーでも良いですね。
泡盛との飲み比べでもしてみようかな?
それだと10年以上の古酒がいいですね。
家にある銘柄で選ぶなら・・・。
ここからは僕の時間を楽しむとしましょう。
皆さんもいいお酒を楽しんでください。
それでは、乾杯!!!
Posted by 板金職人 at 2012年05月12日 21:20
庄助さん、こんばんは。
そうでしたねえ。「威厳」を持っていましたよウイスキーって奴は。
父親のような近寄り難さがあり、それが好奇心をかきたてる。
やがてこっそりと飲んでみる。通過儀礼みたいなもんでしょうね。
はっきり言って30歳以下の若造にウイスキーをききわけるのは無理。
ですが、何故か一番かっこつけたがるのは20歳そこそこの時。
味も分かりゃしねえくせに、ノウガキとうんちく(笑)
鳥井さんの描いた未来の日本像。
「大人になる」ことを、成長を願ったのでしょう。
しかし、貧乏根性はどうにもならなかった。
ただ値段でのみ価値を判断する底の浅さ。
馬鹿バブルでその傾向は加速。
銭の秤で大騒するばかりで「中身」の議論はなし。
そんなもんは「銭の切れ目が縁の切れ目」
で、今じゃ威厳もクソもなし。
コンビニに並ぶかつての「威厳」、あの銘酒の数々も、
安っぽい化粧してヒラヒラのロリコン服を着たアイドルの軽さ。
ま、嘆いても仕方ありません。
薄ら軽い世の中の、馬鹿さ加減を肴にして呑むだけです。
Posted by 魚山人 at 2012年05月13日 00:42
板金職人さん、こんばんは。
>酒について書こうとすればするほど何を書いても野暮
まったくもってその通り。
>酔いの余韻に身をゆだねていると文章なんて出てこないものなのですね
こりゃあね、もう、アナタ(←興奮 笑)
死ぬほど、その通り。仰る通りです。
文章と酒はまったく相入れません。
それはね、酒の「使いみち」ではないからですよ。
酒はその「逆方向に」つかわなきゃいけません。
すなわち、「頭を休める」です。
Posted by 魚山人 at 2012年05月13日 00:43
お疲れ様!爺!
実ゎ今日さ 店の常連様に誘われ 魚料理の店へ。
つっても深く縁のある方で接待ジャネェ。あくまでも個人的に。
カサゴの唐揚げに 鰆の埼京
穴子の煮付け(煮汁の残りに御飯入れろと店主の進めで飯食いました)
美味い。
味付けが良い。
1号をあらかじめ呼んでおいた。ヤツゎ魚がわかるガキ。
野球部の練習を終え合流。
ドンブリ飯を前に注文したMENUゎ〆鯖に中トロ。
鯖ゎ当然脂のりないが 身品がよく 中トロもバチながらなかなか。
たまに世間を旅しなきゃいけないね…こんな個人店が頑張ってる。
仕入れの努力だろう。
1号注文の刺身ゎおいといて 子持ちヤリいかと里芋の煮付けを 頂いた。これが絶品(-_☆)卵が入ってるヤリイカに火加減が絶妙なうえに 捨てるとこなくヤリイカ全体。素晴らしいね。
と芋焼酎をやってるさなか洋酒が…茶色い酒が…
ない。
この記事を怨んだよ。
和食も江戸前風茶色い料理にゃ琥珀色した洋酒も銘柄次第ジャ決定
少し気分良くてな爺!
コメする。
あ゛
驚いたのゎヤリイカの煮付けに添えてあった里芋だ!出しの風味と素材の持ち味バッチシだった!
久しぶりに食べた美味い里芋ならぬ煮方の妙!
これだよな!
ウイスキー語るにしても(笑)
Posted by 鯔次郎 at 2012年05月14日 23:22
おつかれ鯔ちゃん。
>鰆の埼京
?
なにそれ、埼玉と京都か東京のこと?
埼京線にさわらって、
ハぢメテ聞きました。おいら。
(↑イジワルさは、まるで姑か根性曲がりの偏屈爺、またはネット波乗りの人 (笑)
>子持ちヤリいかと里芋の煮付け
そいつは美味そうだねえ。
じゃ、おいらは、
”子持ちヤリイカのリゾット バーニャ・カウダ”でも作って、
ザ・マッカランのウン十年物でもやりましょうかね。
(↑板前の風上にもおけない極悪ジジイ 笑)
Posted by 魚山人 at 2012年05月15日 01:16